偉大なるマルコーニ先生へ捧ぐ

 先生が苦労の末作られた火花式送信機が稼動して、はじめて電波が大西洋を横断したのが今からちょうど100年前。それから、人類は先生の発明のお陰で、ラジオというかけがいのない道具と共に歩んできました。

 この100年間にどれだけの種類と数のラジオが作られたことでしょうか。人類はいろんなものを造っては壊してきましたが、ラジオほど豊潤なバラエティーをもったアイテムはなかったでしょう。人類はいつもラジオと共に歩んできたのです。

 20世紀の中頃には絵の出るラジオが発明されました。人々は「遠耳」に加えて「遠眼」を手にいれたのです。なおその後には、好きな時に、好きな情報を個人的に手に入れたいとする究極の欲望を満たす装置が発明されました。それは蜘蛛の巣と呼ばれ、今日ではラジオと同じぐらい普及しています。使い方が少しばかり難しいので、学校で教えていたりもします。

 その頃からラジオはだんだん廃れて、いまや継子扱いされています。人と人を結び、情報をわけあうために長年つきあってきた大の親友を、人々は急に粗末に扱うようになってしまったのです。

 先生には信じられないかもしれませんが、現代では、ラジオは技術を要する工業製品ではありません。東南アジアの場末の路地裏で、背中に赤ん坊を背負った女性が、竹篭の民芸品を編み上げるのと同じ手つきで組み立ているのです。この様を見られたら、先生は世界の産業構造が産業革命以前に逆戻りしたように感じられるでしょうね。
 21世紀になり我々は先生の発明品を、本当に粗末に扱うようになってしまいました。

 しかし、そういった可哀想なラジオ達を目の前においてみると、中から彼らのつぶやきが聞こえてきます。どっこい僕らは生きているのだと・・・。格調などという言葉からは無縁の存在だけれども、立派な存在権を持って生きているのだと・・・。
 彼らはいまでも人間と一緒に暮らすことを強く望んでいます。ジョギングのお供もしたいし、お風呂だって一緒に入りたいし、ご主人様といっしょのベッドで眠りたいのです。
 彼らはまた、「より豊かになりたい」「もっと文化の香りを身に纏いたい」と願う東南アジア人民の夢を代弁しています。先進国の人間から見ればたわいのないデザインの中に、アジアの憧れがつまっているのです。

 こういったラジオを私は親愛の情を込めて「B級ラジオ」と呼ぶことにしましょう。ゴルフコンペの最下位者向け商品になろうが、ゲームセンターでクレーンに吊り上げられようが、彼らはメッセージを発し続けていくでしょう。彼らがメディア界の桧舞台に立つことは二度とないでしょう。しかし、それだからこそもう一度、彼らの声に耳を傾けて、現代という時代を考えてみたいのです。